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日本の不動産投資のおかしい考え方

今の金融市場は荒れ狂っている状況だと思います。ようやく三月になり投資家はこれから一転反転攻勢とのろしをあげているのでしょうが、「個人的な感想は内外の状況を俯瞰点に眺めるとまだまだ時間はかかるのでは」という結論になります。

そういった中でのテレビ番組ではないのですが、「ここがおかしいよ日本人!」ということをテーマにまたシリーズものでお送りをしたいと思います。

住宅は金融商品

欧米でははっきりしていることですが、住宅というのは金融商品の一部です。つまり、自分の会社を自分の家にたとえ、株式市場であればその会社の経営者は常にその会社が進化していくことを邁進します。つまりその会社の資産価値を上げるために懸命に努力をするのですが、日本ではそんなことを考えている人は少ないようです。

たとえば、私が京都にいるとマンション経営の参考意見をという人がたくさんくるのですが、いざその物件をみせていただくと、メンテナンスの基本中の基本の掃除もしていません。誰がこんなゴミが転がっているようなマンションに住みたがるのかな、とは内心思いつつ適当に切り上げます。

大半のマンションオーナーが基本中の基本ができていないわけではありませんが、都内などを歩いていると「本当にメンテナンスをしているのかな」と思う物件がたくさんあるのは事実です。

幸いにして、京都では朝に必ず自分の敷地の外にある道路を掃き清めるというすばらしい伝統があり、朝に散歩をしているとその会社の従業員やその家の方が毎朝必ず自分の敷地内外を清掃しています。こういった当たり前の文化が首都圏近郊にまったくないのが本当に残念なことに思います。

家の考え方

こういう清掃もしない方々は単に家を消耗品と考え、固定資産税の消却が終わる20から30年後には自分の家やマンションの価値がなくなると信じて疑わないのでしょう。

翻って京はやはり古い家屋がたくさんありますので、そして自分の家が築50年でも100年でも住めることはよく知っているため、当たり前のようにメンテナンスをします。これが、京都は戦災がなかったから(京都の戦後というのは応仁の乱の以降と呼ばれる)、古い建物が残るのです。

メンテナンスの重要性

参考までに私の旧実家というのは江戸時代以前からの建造物でお風呂もヒノキ風呂でしたし、倉庫の中からは甲冑等の美術品も出てきたくらいです。しかし、門の引き戸の修理を業者に頼むと一回300万円とかいわれこれでは我が家の財政事情がもたないということで本音は残しておきたかったのですが、泣く泣くマンションにしたという経緯があったのです。

このような高額な修理代を請求された背景には、やはり戦後間もなくわが家はかなり家計が厳しかったことから修理やメンテナンスを怠っていたのが大きいように思います。専門家の話によれば毎年少しずつでもメンテナンスをしていればあのような額の修理代にはならなかったはずだ、と言っていました。

その反省は私の祖父や父に引き継がれ、今のマンションは築30年近くなりますがメンテナンスをしっかりしているので人気のマンションになっているのです。景気や収入が怪しいことでメンテナンスを怠るとこういう結果になることを私はよく承知をしているので、必ず毎月メンテナンス計画を建て、収入が厳しくてもその資産価値を向上させるためにやっているのです。

そういう結果なのに、無料でできる清掃もせずに価値が下がったと騒いでいる方々はこんな当たり前のことも理解をしていないのか、と嘆息します。

物の価値

結局、モノは消耗品という認識が広がったのは工業化が進んだ現代のことになります。それ以前はモノを大切にし、一度買ったものは絶対一生使い続けられるようにメンテナンスをしていたのが当たり前なのですが、今は壊れたら修理よりも新しいものを、という姿勢は反省しなければならないと思います。

そういう気持ちを日本人はなくしてしまったのでしょうか?海外では当たり前の考えかたのように思います。

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